コラム

歴史的な感染症の流行が、医療にもたらしたもの

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大、長期化によるダメージは計り知れず、医療も含め、世の中のカタチそのものが変わりかねない状況です。
歴史的にみると、14世紀から約400年にわたって、断続的に続いたとされる黒死病では、かなり早い段階で、ヨーロッパの人口の3分の1以上が消失。1918年に初めて感染が確認されたスペイン風邪では、2年間のうちに2000万~5000万人が死亡したとも伝えられています。
いずれも大きな犠牲と恐怖を人々にもたらしたのです。
一方で、大規模感染症の広がりを機に生まれ、現在も貢献し続けているアイデアや、社会制度などが多いのも事実です。そのいくつかを紹介し、今回のピンチを新しい発展につなげる可能性を探ります。

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①マスク、咳エチケットの呼びかけ

―スペイン風邪がきっかけ
第一次世界大戦によって荒廃したヨーロッパで大流行した強毒性のインフルエンザは「スペイン風邪」と呼ばれ、日本でも多数の死者が出ました。
防疫に当たった内務省衛生局(現在の厚生労働省)がまとめた『流行性感冒』(1922年、平凡社東洋文庫所収)には、マスクの着用、衣服で口や鼻を覆って咳やくしゃみをする咳エチケットを、地方自治体で盛んに呼びかけていたことが示されています。
日本で、マスクが感染拡大予防の基本として定着するようになったのは、この頃からだったのです。

流行性感冒 「スペイン風邪」流行の記録』、内務省衛生局編、東洋文庫778、平凡社、2008年
『流行性感冒 「スペイン風邪」流行の記録』、内務省衛生局編、東洋文庫778、平凡社、2008年

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②公的医療保険制度の整備

―スペイン風邪のおかげ?
日本はドイツと並び、世界的にも早くから公的医療保険制度が整備された国です。1922年には工場や鉱山などで働く労働者を対象とする保険制度が発足。その後、対象が次第に広げられました。
ちょうど、スペイン風邪が収まってきて、大戦バブルの余波で経済的にも余裕があった時期とされています。病気や怪我で生産力が低下したり、病気への不安で労働者がやる気を失うと、「国家の戦争遂行の妨げになる」という考え方もあったそうです。
つまり、公的医療保険制度の整備は、個人の健康のため、というより国家の生産力維持という公益のためだったということです。

水谷惟紗久 他著『歯科医療のシステムと経済』(日本歯科新聞社)より一部改変
水谷惟紗久 他著『歯科医療のシステムと経済』(日本歯科新聞社)より一部改変

③「デマ防止」の呼びかけ

―大黒死病がきっかけ
新型コロナをめぐり、「明日から東京がロックダウンされる」「息を10秒以上止めてもせきが出なければ感染していない」「5Gの電波がウィルスを拡散する」などのデマやチェーンメール、また、「新型コロナは〇〇国の生物兵器」といった陰謀説も飛び交っています。エスカレートすると、特定の集団を迫害するような悲劇をもたらすので注意が必要です。
14世紀の大黒死病の際、「ユダヤ人が毒を撒き散らしている」というデマが流れ、ヨーロッパ各地で虐殺事件が発生しました。
これに対して、教会や地方自治体当局が「デマに惑わされるな!」との警告を発しました。ドイツ・ケルン市が周辺各都市に発した書簡(1349年)が知られています。
しかし、「役人たちは、奴らに買収されている!」と疑われて、攻撃されるリスクもあったようです。

④疫学統計の土台になった死亡統計表

―ペストがきっかけ
現在では、医療政策に欠かすことのできない疫学統計ですが、さかのぼると、「死亡統計表」(Bills of Mortality)という記録物が16世紀のロンドンなどで、発行されるようになったのがきっかけようです。地域ごとに死んだ人の死因と思われる病気を定期的にまとめ、毎週木曜に発行していました。
ただし、「どこにペストが発生しているか」が分かるメリットはあるものの、資料としての信頼性には限界がありました。当時、医師が足りなかったため、地方自治体の事務官が経験に基づき「多分、〇〇で死んだのだろう」と記録していたためです。
しかし、こうした素人によって何百年も(何と、19世紀初めまで発行していた地域も!)記録し続けた経験は、後に、コレラや壊血病の原因を突き止めた疫学調査につながることになりました。
ちなみに、17世紀、18世紀の死亡統計表には「Teeth」「Dentition」など歯にまつわる死因が多数記録されています。これは、歯科疾患ではなく、乳歯萌出時の胃腸疾患のようです。

水谷惟紗久著『18世紀イギリスのデンティスト』(日本歯科新聞社)より一部改変*ジョン・グラント著/高野岩三郎校閲/久留間鮫造訳『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』、第一出版、1968年
水谷惟紗久著『18世紀イギリスのデンティスト』(日本歯科新聞社)より一部改変

⑤「病院が病気を治す場になった」

―黄熱病、コレラがきっかけ?
18世紀までのヨーロッパの病院は、今のように病気を治療するところではなく、「感染症や精神疾患の患者や貧困者を隔離する強制収容施設」という意味合いが強いものでした。こうした隔離政策の主な担い手は警察関係で、それを慈善団体がサポートするケースが多かったようです。
治療技術の発達によって「治せる病気」が増えてきたことと、それらの疾患を治療する技術にかかる多額のコストを負担できる経営規模が必要になったことから、病院が治療の場所へと変貌していったのは、19世紀中頃になってからです。
さらに、医学部と大病院が結びつくことで、医学研究、医学教育は急速に発達しました。現在につながる最初の近代的な医学部附属病院は、アメリカ・メリーランド州のジョンズ・ホプキンス大学に1889年に設置されました。
黄熱病、コレラなどの感染症が断続的に流行を繰り返していた時代、こうした病気の研究と治療を合わせて行うのに、大学病院というシステムは非常に有効でした。多数の患者を収容し、新規技術の開発や医学生・研修医への指導を集中的に行えるためです。

水谷惟紗久 他著『歯科医療のシステムと経済』(日本歯科新聞社)より一部改変

水谷惟紗久 他著『歯科医療のシステムと経済』(日本歯科新聞社)より一部改変

⑥大規模補綴技術の発達

―梅毒のおかげ?
18世紀のヨーロッパで、生まれたばかりの近代歯科医療が残した入れ歯のサンプルには、鼻や口唇を補ったり口蓋を塞いだりする装置が数多く見られます。
これは、当時の欠損症例の中に、むし歯や歯周病だけでなく、主として梅毒によって大きく損なわれたものが少なくなかったためだと考えられます。その代わり、日本の木床義歯にもすでに備わっていた、咀嚼補助装置としての機能は期待されていませんでした。
コロンブス艦隊が新大陸からもたらしたとされる梅毒は、18世紀までに、フランスやイギリスで大流行。一説によれば、「梅毒になると、ペストにならない」という俗説を信じた紳士たちが、梅毒を移してもらおうと売春宿に押しかけたのだとか・・・。
18世紀末、パリからロンドンに亡命中の歯科医師、デュボア・ド・シェマンによる入れ歯のサンプル。
18世紀末、パリからロンドンに亡命中の歯科医師、デュボア・ド・シェマンによる入れ歯のサンプル。

水谷惟紗久著『18世紀イギリスのデンティスト』(日本歯科新聞社)より

まとめ

大規模な感染症の流行は、歴史の中で繰り返され、そのたびに多くのものが失われ、また多くのものが生まれているようです。

対抗薬開発、遠隔診療などの新規技術の発展、そして人々の行動変容によって、今回の感染症が早期に収束することを心より祈っております。

書いた人

水谷惟紗久(みずたにいさく)
歯科経営誌『アポロニア21』編集長
日本医史学会会員http://www.dentalnews.co.jp/apollonia21/index.html

【主な著書】
・18世紀イギリスのデンティスト(日本歯科新聞社)
http://www.dentalnews.co.jp/book/category/overseas/england/index.html
・歯科医療のシステムと経済(日本歯科新聞社/共著)
http://www.dentalnews.co.jp/book/category/reading/dental_system_economy/index.html

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水谷惟紗久
水谷惟紗久
歯科経営誌『アポロニア21』編集長 日本医史学会会員 【主な著書】 「18世紀イギリスのデンティスト」(日本歯科新聞社) 「歯科医療のシステムと経済」(日本歯科新聞社/共著) この執筆者の他の記事はこちら